グラップラー簿記の資産形成

帳簿上最強の生物を目指す男のドタバタ資産形成奮闘記です。

積極的ネガティブという生き方

社会人になり丸2年経った。早いものである。いまだに先輩社員との距離を測りかねている。若いというだけで明るさを求められ、それが不満でしかない。若い=元気、明るいという公式が成り立つのであれば、小中学生は底抜けに明るく、50代、高齢者はおとなしくなければならない。周囲を見渡してみるとそんな公式は全くもって正しくないことは明白だろう。毎日のように飲み歩く上司もいれば、小中学校時代は暗く内向きな同級生もいたなぁと思い返す。年齢と性格は全く相関性がないにも関わらず、いつも明るさを求められる。あぁめんどくさい。

幼稚園時代までさかのぼると全員とは言わないが9割くらいは元気、というか元気すぎてやかましかった気がする。いつからだったか、物事を斜めから捉えるようになり、明るさを失っていってしまった。少なくとも中学生くらいまでは明るかったかな。所属していた野球チームで上手くいかなくなってから、明日が嫌な日が増えた気がする。

ただ、みんなそうじゃないかな。単純に遊ぶ生活から結果を求められる生活になっていく過程で底抜けの明るさは失われていくと思う。早い子は中学校受験から、もしくは野球チームでの不振から、高校受験の挫折から、etc

何度も挫折を経験している人でも、明るい人はいる。私はおそらく人の前で明るく振舞えない(振舞おうとも思わない)ことの原因を過去の体験にもとめているだけだろう。アドラーの本にもそんなことが書いてあった、アドラー。過去の体験が現在の自分の性格に影響を与えていないのであれば、どうしてこのような明るく振舞えない性格になったんだろ

ネガティブでいるほうが自分に合っているからだろう。ネガティブは気楽である。仕事でもプライベートでも過度な期待をせずに生きていると、それらがうまくいかなくともすぐに受け入れられる。予想外に良い結果になればそれはそれで嬉しい。つまりは心の予防線になるのである。自分からネガティブになろうとしているわけで、ある意味積極的なんじゃないかなと思う次第。

明日からも明るい自分が求められるのかな。あーやだやだ。まぁ嫌々演じていればいつかバレて、見限られると思うけどね。

最後に心から笑ったのはいつだろうか。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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